離婚したい理由[1]

私は35歳。夫は40歳で子供はいない。結婚して11年目を迎えた。私達は職場で知り合い結婚した。会社の規定で夫婦ともに同じ会社で働くことはできなかったので、私が寿退社をした。特に大きな喧嘩をすることもなく、仲良く過ごしていたように思う。そんな夫が2ヶ月前から少しずつ変わった。家に帰っても、殆ど話をしなくなった。食事の量も減り、笑わなくなっていった。私はとても心配で、何度もどうしてしまったのか?と聞いたりしても、別に何でもないと言う。鬱のような感じにも思えてきた。会社には行っているが、明らかに夫は別人のように変わってしまった。悩んだ挙げ句、職場の同僚にも夫の様子を聞いてみたりもした。同僚は特に変わったことはないと言う。会社だから我慢しているのだろうか、、、

ある晴れた土曜日の朝のこと。夫は私をじっと見つめ、『別れてほしい、おまえのことが嫌いで言うんじゃないから誤解しないでほしい。』『何もやる気もでないし、誰とも一緒にいたくないんだ。原因も分からない。』『こんなんじゃいけないと思えば思うほど滅入ってしまうんだ。』『頼む』『ごめん』

あまりにも突然すぎて返す言葉も見当たらなかった。長い沈黙が過ぎていった。どれくらいの時間が経ったのかも思い出せない。

私は『別居じゃ駄目なの?』とやっとの思いで聞いてみた。

夫は迷わず『それも、考えたさー!待たせてると思うと辛くなんだって!』

夫の言葉がとても冷たく感じられた。

私は考えてみると夫に伝えると、夫は『有難う、ごめん。』と言った。

葬儀

ママが亡くなると夫と、夫の家族は私の支えにならないといけないかのように
葬儀の打ち合わせにぐいぐい入ってきた。
変な話、お金を出すのは全て私。夫の家族はパパの時と同じように
『ころっと逝けてこんな楽なことはない、、』とズゲズケと言葉を吐く。
相続のことも大変だからと、ママの財産を知りたがる。
こんなことはもしかして普通なのかもしれないが、、、。私はとても気分が悪くてしょうがなかった。ママはパパの財産を引き継いでいるから、夫の家族が考えるようなレベルではない。
昔から色々と管理をしてくれている弁護士もきちんといるから、それこそ心配ご無用だ。
当然だが相続のことも心配ないようにしてあった。

私が一番思ったこと。パパの時から比べると、ママがいなくなった悲しみは耐えられる状態だった。
ママのことも大好きなのに、パパへの思いとは比べ物にならない。

私と血がつながっているのは子供だけになった。

ママの葬儀で、夫と夫の家族が更に嫌いになった。

葬儀で思わぬ人がお参りにきてくれた。特に深い繋がりがあるわけではなかったが、あまりにも思いがけない人であったので、とても驚いた。

でも、その人の顔を見て私は心が温かくなった。

 

ママさようなら

ママが大掃除をしていた日から丁度一週間後のこと。
妹から早朝に電話があった。
慌てて『ママが倒れていて意識がないの!救急車を呼んだけどママは息をしていないの!』
私は直ぐに病院に向かった。
ママは心臓マッサージを受けていた。
病院なのに救急隊員が一生懸命心臓マッサージを続けてくれた。
私は声も出ずにじっとママを見つめることしかできなかった。
心拍数に変化は全くなく、時間ばかりが過ぎていった。傍にいるドクターは諦めムードのように見えたが、救急隊員は何故だか休まず心臓マッサージを行っている。
心臓が停止してから30分以上過ぎると、私は冷静な自分にふと気付いた。
ママの息が戻っても植物人間だろう、と。
薬を投与し3度目のAEDを行った。僅かに心拍数に反応がでた。
ママ、、
1時間後、救急隊員は心臓マッサージを止めた。
ママはパパのところへ行った。
ママの一番の望みだったから、それで良かったのだと自分に言い聞かせた。

夫の日常

夫は以前に比べると優しくなった感じもあるが、また浮気癖が始まった。もっと上手にすればいいのに、、
分かりやすい人。
私にとっては大したことではなかった。
でも私にバレないようにしようと、優しくするのも直ぐに分かった。
私は離婚を考え、弁護士に相談を行った。
弁護士は浮気の証拠は持っていた方がよいとアドバイスをくれた。弁護士が取引している探偵に依頼してくれるという。探偵には良いイメージはなかったが、弁護士の紹介なら大丈夫だろうと、全てを任せることにした。
証拠をつかむのはやはり容易かった。
悲しくも悔しくもなかった。多かれ少なかれ、特に特別なことではないのかもしれない。そんなに悪でもないのかもしれない。
ただ私には別の人を好きになる感情は理解できなかった。
あとは夫と話し合うだけだったが、、、

叔父の死

ママのお兄さんが癌で亡くなった。叔父は秋田県の人。ママと遠く離れた秋田へ向かった。ママはとても悲しそうだったが、パパには誰も敵わないのだと改めて感じた。ママとの旅はこれが最期になる。
叔父の死から一週間後、ママは大掃除をしていた。
ママは潔癖症であるから、大掃除をする必要はなく、とても不思議な光景だった。お客様用の高級な食器や、引出物等でもらった未使用の商品を次々と纏め捨てていた。『どうしたの?別に捨てなくてもいいんじゃないの?』と聞くと、ママは優しい表情で
『ママがいつ死んでもいいように、要らないものを片付けておくの!ママが死んだら、結局はあなたが処分しないといけないのよ!』と。
私は大きな溜息が出たが、やりたいようにすればいいと思い、何も言わなかった。ママは、何のためらいもなしに、手当たり次第に新品のものも捨てていった。

バイト

同じ頃、義母は『そろそろどこかに勤めたら?』と言うようになる。『少しだけでのバイト程度でもいいじゃない、遅く帰る職場は勘弁してよ』と言った。
1つのうちに女が二人も仕事もせずにいるのは近所の手前も悪いようだ。世間体ばかり気になる人達だ。
私は直行直帰の楽なバイトをみつけた。勤務は自分に合わせてできる様な、かなり自由で楽なバイトだった。
朝、一時間ほど仕事をしてからママの所へ行った。
気持ちが滅入ってどうしようもない時は、仲間を誘ってゴルフへ行った。
実家とゴルフ場へ通う毎日が一年以上続いたと思う。
何をしても気がはれることはなかった。心から笑える時もなかった。

病気

ママが脳梗塞で倒れた。
運良く後遺症も残らず入院治療で回復したが
脳の奥に動脈瘤が見つかった。
位置的に手術をするにもかなり危険が伴うが
手術をしなければ、動脈瘤は破裂してくも膜下出血となる。
危険でも手術を受けなければ死に繋がる。
ママは手術は絶対受けないと言い張った。
私は反対しなかった。
ママの死が遠くないなんて、、、
ママはパパがいないから、自分の命に関してなど
全く考える必要がないのだ。
私は限られたママとの時間を大切にしようと思った。
そんな時、同じ時期に私も帯状疱疹がでた。
病院に行くと、膠原病と判明。ママが膠原病で私が幼い頃に酷く患っていたことがあった。ずっと難病にもなっている膠原病の薬は欠かしていなかった。
私も同じ病気を発症した。
血液、免疫の異常で色々な病気に発展する可能性をもつ難病だ。
高額な薬の投薬が始まった。
薬が強く、とてもしんどい症状が続いた。
でも、私は病気の苦しさなど
パパのいない苦しみから比べれば大したことはなかった。
ママには病気のことは伝えなかった。
遺伝させたと思って自分を思い詰めるからだ。
大量の薬を飲むから、夫や夫の家族には病気のことは話をした。
夫の家族は、食べ物の好き嫌いをするからだと言った。ダメだこりゃ程度の感想だ。
夫も病気に対する理解はできないだろうというのは想定内だし。
私自身も病気は慣れっこで、恐怖心もなかった。
ただ、ママをしっかりささえなくてはならないから
病気に負けるわけにはいかない。
パパの死で悪いこと続き。多分、自分自身が苦しんでいるから全てが悪い方向へいくのだろう。
分かっていたが、気持ちを切り替えることがどうしてもできなかった。

続く暗闇

パパの死によって多くのことが変わった。価値観、感情、、
パパのいない悲しみに比べたら、何も苦しいことなどないように感じた。
夫の家族は、『コロッと死ぬのは本人も周りも本当に楽なこと、私もコロッと逝きたいわ!』
と、悪気はなくても平気で無神経なことを言ってくる。
夫も『いつまでも暗い表情してても始まらん、落ち込んでも仕方ない!』なんて、人の気も知らすに最もらしいことを言う。
夫も夫の家族にも、これまで以上にガッカリさせられた。
根本的に違うんだろう。
多分、いつまでたっても交わらないのだと改めて分かった。
私はこれから何年も暗闇のなかでもがくことになる。

暗闇

会社をやめてからは、実家に毎日通うようにした。
ママも私と同じようにパパの死が辛すぎて、人が変わったように暗い表情の毎日だった。
毎日お酒を飲むようになり、パパのいない苦しみを、まぎらわそうとしていた。
ママはパパをとてもとても愛していた。
多分、我が娘の私のことよりも少し多く愛していたと思う。
ママが辛いのはよく分かったが、私も同じように苦しかった。
夢でもいいからパパに会いたい、、
こんな感情、皆そうなのか?
辛くて辛くてどうしようもないのに、ママの表情を見ていると更に苦しくてどうしようもなかった。
こっちがママに甘えたいぐらいだった。
ある日、ママはお仏壇を新しくしたいと言ってきた。
パパが入るおうちだから新しくないといけないと言う。
買い替えなくても立派なお仏壇なのに、、、
でもそれで気が紛れるならいいと思い賛成した。
お仏壇の次はお墓だった。お墓もパパが立派なものを建てたのに、、
ママは、パパとママが入る為だけのお墓がいいと言った。
私はとにかく何でも賛成した。
そんなママとの重い毎日が続いた。私がいないと自殺でもするのではないかと、心配で心配でたまらなかった。
パパの存在は、私たちにとって特別だったのだ。
パパの死から数ヶ月でママは白髪になった。
顔もあっという間に老けてしまった。
精神的なストレスは想像以上だった。
パパのところい行きたいと毎日言われ、私も頭がおかしくなりそうだった。
でも私がしっかりしなくてはならない、、

奥様を調査せよ〈5〉

老人と奥さん
体が不自由な老人と浮気している可能性はない。
昔の愛人だという可能性はあるが、現在は介護でしかない。
依頼者に老人のことを説明した。
依頼者は真剣に私の話を聞き項垂れた。
『なんということだ、、、』
『私はとても恥ずかしい』
依頼者はうつむき、数分間の沈黙が続いた。
そして依頼者は静かに話しだした。
『妻と会っていた老人は、私を育ててくれた実父のような人です。』
???「えっ?」
『私の本当の両親は誰なのかも分かりません。私は生まれてすぐに孤児院の前に捨てられました。』
『妻と会っていた老人は、捨てられていた私を大切に育ててくれた孤児院の院長です』
『7歳の時、今の会長が私を養子にしてくれました』
『当時、私は養子にいくことにとても反発しました。院長を本当の父親と思って生きていましたから、また捨てられると思ったのでしょう。』
『院長は、新しい両親は必ずおまえを大切にしてくれる人達だと何度も私に話をしてくれました。』
『それでも私は院長と一緒にいたかった。どうしても、いたかった。』
『どんなにどんなに院長にお願いしても、院長は私の願いを聞き入れてはくれなかった。』
『院長は、私はこれからもたくさんの親がいない子供達の親にならないといけないんだ!私はおまえだけの親にはなれない。新しい両親は、おまえを本当の子供と思って大事にしてくれるんだ!』
『その日から私は院長と一度も話をしていません。
養子にはいった家はとても裕福で、温かく私を育ててくれました。本当の子供のように。教育も人並み以上の環境を与えてくれました。
そして、今の地位も生活もあるのです。今の両親がいなかったら、今の自分ではなかったかもしれません。
いつのまにか、今の自分を当たり前のように錯覚していたのだと思います。
院長のことは、あのときに私を捨てたという思いのままになっていました。』
『妻には昔、そんな話をした覚えがあります。妻は、院長があなたのことをとても大切に思ってのことだったのでしょう。と言っていました。』
『そして妻は、私があなたに出会えたのも、院長があなたを大切にしてくれたお蔭ですね。と優しく言っていたことを思い出します。』
『妻が院長の面倒を見ていてくれたなんて、、』