スイートルーム

その日は披露宴を行ったホテルに泊まった。最上階のスイートルーム。彼は二次会でかなり酔ってしまい、直ぐに寝てしまった。私はこれまで外泊禁止だったので、彼と一緒に一夜を過ごすのは、この日が初めてということになる。本当ならロマンチックな夜なのだろう。でも私はとても不安な感じにおそわれていた。彼と一緒なのに不安だなんて、どうしようもないな。明日から新婚旅行。明日になれば、少しは気分が晴れるかもしれないと自分に言い聞かせた。私はなかなか寝付けなかった。パパの悲しい顔が頭から離れなかった。家に帰りたかった。そんな勇気は勿論私にはなかったけど、、私は実家に電話をした。『ママ』と言ったとたん、『大丈夫?何かあったの?』『何もないよ、ママ有難う、パパにも伝えてね』『明日、ホテルに迎えに行って駅まで送っていくからね』『うん』こんな会話が私の心を少し癒してくれた。親離れできてないと言われても構わない。私はパパとママが大好き。でも、こんなに盛大な結婚式や、嫁入り道具、婚礼衣装、私には変にプレッシャーになってしまったのは間違いないと思う。

結婚式

結婚式、披露宴。大勢の人に祝福され、きっと誰が見ても私は幸せな花嫁だっただろう。パパもママもとても疲れた顔をしていた。嬉しいように精一杯振る舞っていたのだと思う。パパはいつも強くて優しくいけど、あんなパパの顔を見たのは初めてだった。今でもパパの寂しそうな表情を忘れることはできない。彼はとてもはしゃいでいたが、最後の両親への挨拶では、言葉にならないくらい泣いていた。彼の父親は、挨拶のなかで私に『本当の娘として大切にするから、私達のことを本当の親だと思って甘えてほしい、、、』と言っていた。これまでそんな素振りも見せなかったから、急にそんなに優しいことを言われても、私はリアクションに困ってしまった。普通はここで涙を流して感動する場面だったのだろう。私の両親はパパとママだけだもの。冷めた自分に気づきながら、私は両親のことばかり気になってしかたなかった。長い披露宴が終わると、友人が二次会をひらいてくれた。彼は漸く落ち着いたのか、はめをはずしていた。本当なら一番輝いている日、一番幸せな日なのだろうが、私にはとても疲れた一日でしかなかった。

嫁入り

クリスマス間近、私達の結婚式当日。朝早くから支度を始め、白無垢で彼の自宅にはいった。お仏壇参りを行い、町内を歩いて挨拶に回る。こんなこと皆がしているわけではないのだから、別にしなくていいのに、、彼の両親は、代々続く家だからと言う。価値観が違うから仕方ない。私の嫁入り道具がトラックで運び込まれる。これも彼の両親の指示通りに行われた。新婚旅行中に近所の人に箪笥の中を見せるらしい。気持ち悪いからと断ると、聞く耳などもたなかった。この時、逃げ出してたらその後の人生も大きく変わっていたかもしれない。タラレバは経験できないからそんな事言っても仕方ないけど。私に付いて傍にいてくれた叔父様も、彼の両親を見てとても心配し、今からでも止めといたほうがいいかもよ!なんて言ってくれた。それほど変だったのは間違いないんだろう。彼と結婚するというより、彼の家と結婚する感じだった。

結婚式の準備

結婚式に向けて色々と決めなければならないことが多かった。式場、衣装、料理、引き出物、新婚旅行、、、本当ならこれも楽しい時間なのだろう。私はそんなふうに思えなかった。彼は殆どを私に任せる感じになってきた。衣装はパパが全てオーダーで作ってくれた。私が潔癖症だからだ。もっと喜ばなくては申し訳ないのに、そんな気分ではなかった。彼も同じく気持ちが下がっていたようだった。色々なことが決まっていくことで、後戻りができない感じがして、なんだか気持ちが追い込まれるような感覚になってきた。婚約指輪と結婚指輪は、彼の両親がお金をだしていた。この時初めて、彼に貯金がないことを知ることになる。彼は35歳、子供が二人もいるのに貯金もないなんて、、更に不安が増す。新婚旅行は私の両親がお金をだしていた。結婚式は両家で折半しましょうと彼の両親に言われていた。私の両親はお金のことは何も言わないが、彼の両親は、招待客の割合を6対4ということまで決めてきたのに、総額の折半てどういうつもりなんだろう?私がおかしいと思うくらいだから、私の両親はもっと呆れていただろう。そんなことなら見栄を張らなければいいのに、、結婚式の費用は総額800万を超していた。私の嫁入り道具は、新車も入れると2300万だった。ママは几帳面に家計簿をつけていたので、私はこっそり見て驚いた。自分の子供ができて、同じように私が子どもにしてあげることができるのか?というより、彼が大丈夫だとはとても思えなかった。

両家

彼の両親が私の両親に挨拶にきた。彼の両親は、『お嬢さんにはからだ1つで嫁いでもらいたい、もし別れたいと言い出すことがあれば、実家に戻ることは許さないと強く言って欲しい』等等、自分たちの要望を果てしなく言っていたと思う。私の両親は、私が体が弱いこと、農作業をやったり重いものを持ったりできないことを丁寧に説明していた。彼の両親は結婚式のことを話し出した。長男の嫁入りなので、盛大に行いたいし、ご近所回りなどの行事もきちんとしたいと。私は足が悪かったので重いものが持てない事情を抱えていたことを説明したのに、白無垢で文金高島田は絶対してもらわないと、、と。特にママは不安な顔を隠せないでいた。二度目の結婚式なのに盛大にしたいなんて若い私から見てもおかしな感じに聞こえた。招待客の数も相手の両親に決められた。なんだ、この人達はどこを向いているの?

彼の家

彼の両親に会うことになった。彼の実家のリビングに通されると、どこから見ても不機嫌そうな両親が座っていた。彼は私と結婚が決まったことを報告し、具体的な話しを進めていく途中、彼の母親が『同居はこりごり、結婚は反対しないけどこの家には入ってこないでね!』と驚きの発言だった。父親は、『前の嫁さん時にひどくもめたから母さんは疲れたんだ!何にもしない嫁さんだったからなっ、俺も同じ意見だな』と。私は少し驚いたが、どこかほっとした。元々同居を望んでいたわけではなかったし、、彼は家を継がなくてもいいのか?ということは、お婿さんでもいいのか?彼はお婿さんになる気はなかった。マンション探しを始めようとした頃、彼の母親から連絡が入った。この前はあんな言い方をしたが、長男には家を継いでもらわないといけないから、やはり同居をしようと。??とても勝手な人達だと思った。平気で酷い発言をしたり無愛想にしたり。とても常識がない家だと。

結婚を前に

結婚まで2ヶ月。ママは、止めるなら未だまにあうわよ!と何度も口にしていた。それでも、毎日料理を教えてくれた。お味噌汁、ご飯の炊き方、卵焼き、春雨サラダ、この4点だったが、、、ママは料理が苦手だった。でも掃除洗濯は完璧。私が幼い頃から、自宅には中ちゃんというお手伝いさんがいた。ママのできないことは中ちゃんが全てやってくれた。4つ以外の料理は中ちゃんが教えてくれた。でも料理をしていて楽しいなんて少しも思えなかったが、意外と私は器用な方だったので、味付けのセンスは良かったと思う。洗濯も教えてもらったが、全ての家事をつまらないと思う自分に少し不安を感じた。ママは、嫁入り道具を次々と買い揃えて自宅の廊下は婚礼家具が並んでいた。毎日毎日、並んでいる婚礼家具を横目に気持ちがどんどん沈んでいった。マリッジブルー?と思い込みながら、結婚してしまえば心は落ち着くと自分に言い聞かせた。パパは私とあまり話さなくなった。何だかとても寂しかった。

プロポーズ

仲直りをしてから彼は束縛する行動や言動はなくなった。間もなく結婚しようとプロポーズされた。特に感動的な演出もなかった。彼は直ぐにでも結婚式をしようと言った。まずは私の両親に正式に挨拶にいくという。私は両親が初めて彼と会うと思っていた。両親に彼と会って欲しいとお願いしたら、彼は半年前に挨拶しにきていたことをその時初めて知った。ママは何も返事をせずに困り顔だった。パパは会うことをOKしてくれた。数日後、彼は自宅に挨拶にきた。『お嬢さんと結婚することを許してください、ただ私は長男なので養子には入れません』と。

パパは、私が良いならそれでいいと淡々と答えていた。私はそんなパパの返答に正直驚いた。そんな会話が終わったばかりのところにママがお茶を持って部屋に入ってきた。パパは、『お嫁にいくんだって』とママに告げた。ママは唐突すぎてお茶をこぼしていた。『いつ?直ぐじゃないでしょ!』彼はそんなママの質問に『年内を考えています、できるだけ早く進めたいと思ってます』とキッパリ言った。年内なんて後3ヶ月しかない、、ママは動揺を隠せずに更に困った顔をしていた。そんななか、パパは『この子は体が弱い、この子は嫁がせるつもりで育てていないから色んな意味でワガママだよ。嫁にいくとは、その家に事情に合わせていかなければならないが、そんな理屈が通じる子ではないと半年前に言ったはず。それでもというなら、君も覚悟を持っていることだろう。それならば私達は反対しないよ、とにかくこの子を大事にしてほしい。一番の味方でいてくれたらいいい。金銭的なことではなく、心がいつも豊かにいれるようにしてくれたらいい。』と。彼は『どんなことがあっても彼女を守ります、幸せにします。約束します。』と力強く答えていた。ママは、小声で『そんな、、、』と力を落とすばかりだった。私はとても複雑だった。

喧嘩

彼の束縛は彼の生い立ちのせいだと自分に言い聞かせながらも、彼とのお付き合いは続いていった。ある日、彼が一週間東京出張に出掛けた。ほっとする自分がいた。仲良しの同僚と久しぶりに食事に出掛けたりした。とても楽しかった。彼のことが嫌いなわけではないが、彼のいない時間は楽だった。出張三日目の夜、彼から電話が入った。友人と食事に行ったことを話すと、彼はとても不機嫌になった。男はいたのか?本当はいたんじゃないか?私は、そんなことで責められるなら、もう終わりにしたいと伝えた。彼はすぐに謝ったが、私は電話を切った。本当に別れようとは思っていなかったが、束縛をなおしてもらいたかった。でも、もし別れてもきっと悲しくないような気がした。彼が出張から帰ってから話し合った。彼は束縛しないように気を付けると約束し仲直りした。同情を愛していると錯覚してしまうのはよくあることなのか?正直、愛する感情がどのようなものなのか、私には分からなかったように思う。

彼の生い立ち

彼とは相変わらずの毎日だった。彼は段々と遠慮がなくなり、毎日職場に電話が入るようになった。今日はどこに食べにいく?うちにおいでよ!という感じだった。同僚も少し呆れ顔だったくらいだ。たまに友人と出掛けると、偶然を装って食事会場に現れることもあった。少しずつ彼が束縛する人なんだと分かりはじめた。束縛されることは嫌だったが、何だか束縛する彼が寂しいからなのかと同情的な気持ちにもなった。

彼と付き合ってから初めての彼の誕生日のこと。彼への誕生日プレゼントに、手編みのセーターを贈った。手編みと言っても私の手作りではなく、専門家に頼んでオーダーしたものだった。私は冗談で、私が作ったのよ!と言った途端、彼が涙を流して『こんな嬉しい誕生日は産まれて初めて』と言われてしまった。そもそも嘘をつくつもりもなく、なんちゃってーと言うつもりがそうもいかなくなってしまった。とても後ろめたい気持ちになったが、本当のことを言うほうが悪に思えてしまい、どうしても言えなかった。こんな彼を見て、何て可哀想な人だと酷く同情してしまった。彼の父親は、彼が幼い頃から浮気ばかりして殆ど家には寄り付かなかったらしい。母親は、その義父母がとても厳しかったようで、田んぼや畑仕事、家事の全てをおしつけられ、自由に使えるお金ももらえなったらしい。彼の祖父は藍綬褒章を貰うような人だったようだが、家では威張り散らす人だったらしい。祖父は彼にとてもとても厳しく接していたようで、彼はそんなに祖父をとても憎んでいた。祖母はと言えば、彼を溺愛してくれたのは良いが、彼の母親を酷くいじめているのも見ているから複雑だったに違いない。そんな異色な家庭環境に育ったと話していたから、誕生日の思い出など一度たりともなかったようだ。私はいつも家族の一番で育ってきたから、そんな彼の生い立ちにとても同情した。前妻との生活でも、温かい家庭ではなかったと言っていた。その時は全てを信じる私だったが、相手ばかり悪いわけがないと後で分かった。